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核戦争の脅威、北朝鮮かアメリカ合衆国か?

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私たちの耳も長いあいだ、「戦争の脅威」はイランだ、北朝鮮だと、慣らされてきました。 60年目になる朝鮮戦争休戦協定発効の7月27日の直前に、グローバル・リサーチ・センターの設立者、ミシェル・チョスドフスキィ氏が、「だれが核戦争の脅威なの か?」ときびしく問う論考を発表しましたので、拙訳ですが紹介させていただきます。 7月27日の記念日に、オバマ大統領は、休戦協定の 一方の当事者であることも忘れて「韓国が勝利した」などと、朝鮮民主主義人民共和国と休戦協定そのものを無視した発言をしていました。 一方、日本は朝鮮戦争「特需」を土台にその後の経済発展 を遂げたことも忘れ、米ソ冷戦下の状況のみならず、この戦争には、あらゆる資産を収奪した36年に及ぶ日本の植民地支配が深くかかわっていたことも忘れ、さらにその後の「戦争・戦後責任」も忘れて、「他人事」 のような有様です。まさに、「歴史を忘れた民族に未来は無い」(日韓戦で韓国サポーターが掲げた横断幕)。 フクシマを経て、原爆投下68年目を迎えるとき、「原爆神話」を利用したアメリカの核脅迫政策が東アジアと世界をどのように管理、演出してきたの か、考える材料にしていただきたいと思います。(2013年8月4日記) The Threat of Nuclear War, North Korea or the United States? Url of this article: http://www.globalresearch.ca/the-threat-of-nuclear-war-north-korea-or-the-united-states/5343793 核戦争の脅威、北朝鮮かアメリカ合衆国か? ミシェル・チョスドフスキィ教 授(松元保昭訳) 2013年7月25日 グローバル・リサーチ誌 西側メディアが北朝鮮の核兵器準 備を全世界の安全保障の脅威として描いているのに、半世紀以上ものあいだ核攻撃(戦略)で米国が北朝鮮を脅迫していることを認めよう とはしない。 2013年7月27日 の休戦記念日では、北と南の朝鮮が朝鮮戦争(1950~53)の終結を記念するだろう。1950年の朝鮮戦争の初期に、米国が北朝鮮に対する核兵器の使用 を考えていたことは、広範な大衆には知られていなかった。戦争の直後に米国は、1953年の休戦協定に違反して、朝鮮民主主義人民共和国 (DPRK)に対して先制攻撃を基本とした核兵器を韓国に配備した。 ●「ヒロシマ・ドクトリン」を北朝鮮に適応 韓国に関連する米国の核ドクトリン は、大規模に民間人に向けられた1945年8月のヒロシマとナガサキへの原爆投下 に引き続き創案された。 「ヒロシマ・ドクトリ ン」の もとでは、核攻撃の戦略目標は何万もの死者をもたらすことになる「大規模な犠牲者を生 み出す出来事」を誘発することであった。その目的は、軍事的征服の期待値とし て全国民を脅えさせることであった。軍事目標は、主要な目的ではなかった:「副次的被害」の観念は、ヒロシマは「軍事基地」だっ た、したがって民間人は軍事目標ではなかったという公式の見せかけに従って、民間人の大量殺害の正当化として利用された。 ハリー・トルーマンの言葉では: 「われわれは、世界史 上もっとも恐ろしい爆弾を発見した。 この兵器は、日本に対 して使われるべきである。…[われわれは]女性や子どもたちではなく、軍事目標および兵士や船員が標的であり、そのように使いたい。 たとえジャップが、凶 暴で冷酷で残酷で狂信的であっても、公共の福利のため世界のリーダーとして古い都市、あるいは新しい都市にその恐ろしい爆弾を落とす ことは出来ない…目標は完全に軍事的なものであろ う…これまで発見されたもっとも恐ろしいものだが、それは最大限利用されるだろう。」(ハリー・S・トルーマン大統領の 日記、1945年7月25日) 「世界は、最初の原子 爆弾が軍事基地広島に落とされたことに注 目するだ ろう。というのは、われわれがこの最初の攻撃で民間人の殺害を可能な限り避けることを望んだからであった。」(ハリー・S・トルーマン大統領の 国民へのラジオ・スピーチ、1945年8月9日) [原注:最初の原子爆弾は1945年8月6日にヒロシマに落とされた。二回目は8月9日 ナガサキで、同じ日に国民に向けてトルーマンのラジオ・スピーチがあった。] 米国政府と軍隊上層部の中では、ヒロ シマが軍事基地であったとは誰一人考えていなかったのであって、トルーマンは自身とアメリカ国民に嘘をついていたことになる。今日まで、 戦争終結をもたらし最終的には「人命救助」のための避けがたい犠牲として、日 本に対する核兵器の使用が正当化されているのだ。 ●米国核兵器の韓国における備蓄と配備 朝鮮戦争が終わったわずか2,3年後に、米国は韓国における核弾頭の 配備に着手した。ウィジョンブ(議政府市)とアニャン=ニ(安養市)におけるこの配備は、1956年の早い時期に考えられていた。 韓国へ核弾頭を持ち込む米国の決定 が、相争っている両者に朝鮮(両国)への新兵器の導入を禁止した休戦協定第13項(d)に対する露骨な違反であったことは注目に値する。 (訳 者注:休戦協定第13項(d)の冒頭には、「戦闘機、装甲 車輛、兵器類、および(核兵器などの)攻撃手段を増強するような朝鮮への導入を中止すること:」とある。TEXT OF THE KOREAN [...]

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