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Channel: ちきゅう座 »松元保昭
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アラファト暗殺

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アラファト暗殺 については、謎の死を遂げた2004年11月11日前後からすでに暗殺説が飛び交っていましたが、この2013年11月6日、スイス・ローザンヌ法医学大学放射線物理学研究所の専門家 によってポロニウム210が検出されたとアル・ジャジーラが公表したことで、暗殺が裏付けられたことになります。しかし「誰が毒殺したかは不明だ」と付け加えています。 ここに紹介するのは、「誰がやったか、私にとって何の疑いもない」とイスラエル政府を名指す、イスラエルの著名な ジャーナリスト、ウリ・アヴネリの最近の記事です。11月6日のアル・ジャジーラの公表を受けて書かれたものですが、 おそらくアラファトのもっとも近いところにいた一人のイスラエル人の回想です。拙訳ですが、紹介させていただきます。(2013年11月28日 記) ウリ・アヴネリ(Uri Avnery)は、イスラエル左派でもっとも信頼されているジャーナリストであり平和活動家であり元国会議員でもある。平和団体「グシュ・シャローム(Gush Shalom)」の代表。 ★Al-Jazeeraが発表した、アラファート議長毒殺説に関する法医学レポート全文:http://www.aljazeera.com/investigations/killing-arafat/swiss-forensic-report-arafat-death-201311671255163780.html This article’s Url http://feedproxy.google.com/~r/intifada-palestine/yTiY/~3/8mlT4Op3fyI/?utm_source=feedburner&utm_medium=email The Arafat Assassination アラファト暗殺 ウリ・アヴネリ(Uri Avnery)(松元保昭訳) 2013年11月16日 インティファーダ・パレスタイン 最初の 瞬間から、私はヤセル・アラファト(Yasser Arafat)が暗殺されたことにすこしの疑いも持っていませんでした。それは、単純な論理の問題です。 葬儀から帰る途中、私は、高い能力をもった権威ある薬剤師で国民主義のアラブ・バラド党(Arab Balad party)の国会議員でもあるジャマール・ザハールカ(Jamal Zahalka)とたまたま一緒になりました。私たちは、意見を交換して同じ結論に達したのでした。 先週のスイスの専門家の調査結果は、 私の確信を裏付けるだけでした。 何よりもまず単純な事実です。じっさい人は理由も なく死ぬことはありません。 私は、ことが起こった2,3週間前にアラファトを訪ねていました。彼は、かなり健康 そうでした。御暇したあと、私は妻ラケル(Rachel)に、この前訪ねた時よりもっと鋭く注意深く見えたと話したものでした。 彼が突然ひどい病気になったとき、明らかな原因は何もなかったのです。彼の妻スーハ(Suha)の意思でフランスに移動されそこで死んだのですが、フランス の軍事病院の医師たちが彼の体の徹底した検査を行ったのですが、何の異常の原因も突き止められませんでした。まったく何もです。 それ自体が非常に奇妙なことでした。 アラファトは、事実上、国家のトップであり彼の人民の指導者でした。フランスの医師たちが原因を究明するためあらゆる手段を尽くしたと誰もが考えると思います。 ところが放射能や毒物だけが(検査から)取り外されていました。なぜ、検死のとき何の毒物も検出されなかったのか?その答えは簡単です。毒物を検出するためには探しているものを知っていなければなりません。毒物のリストはほとんど際限ないほどあるのに、所定の検査はごくわずかなことに限定されていたのでし た。 アラファトの体は、放射性物質ポロニ ウムについては調べられなかったのです。 だれが毒物を投与する機会があったのでしょう? そう、ほとんどどんな人にも。 私は、数多くの彼との雑談の合間、いい加減な警備体制にいつも驚いていたものです。 包囲されたベイルートでの最初の会談のとき、私に寄せた信頼に驚かされてしまいました。その時は、多数のモサド・エージェントとファランジストのスパイたちが彼を見つけようと市内を徹底的に捜査していたことを私は知っていました。私がモサド・エージェントでなかったこと、私が尾行されていなかったこと、あるいはうっかり位置測定器を持っていなかったことなど、彼は知る由もありません。 その後、(亡命先の)チュニスでの彼 の訪問者へのセキュリティ・チェックは、やはりおざなりなものでした。イスラエル首相の警備体制は計り知れないほど厳格なものだったの に。 ラマッラのムカタ(Mukata:ラマッラの自治政府議長府=訳注)の「構内」でも、セキュリティ対策はとくに追加されていませんでした。私は幾度となく一緒に食事をしたのですが、彼の開放性にはいつも驚かされました。親パレスチナの活動家(あるいはそう思われるような)アメリカ人 や外国からのゲス トが喜んで招かれていましたから、彼の隣に座って食べ物の中に毒をそっと入れることくらい容易にできたのです。アラファトは客たちと ジョークを飛ばし、と くにうまい物は彼の手でみんなに与えていたのです。 毒物は必ずしも食べ物を必要としませ ん。わずかな身体的接触で十分なのです。 この男は、まだ世界でもっとも脅迫されていた人物の 一人でした。彼は多くの不倶戴天の敵を持っていましたし、半ダースもの秘密諜報機関が彼の殺害に没頭していたのです。それがどうしてあんなにずぼらであったのでしょう? 私がそのことを忠告したとき、彼は神 のご加護を信じていると語っていました。 か つて、彼が専用ジェットでチャドからリビヤに飛んでいたとき、パイロットは燃料が切れたと告げました。パイロットは砂漠のど真ん中に不時着しようとしたのです。アラファトのボディガードたちが―彼らは殺されたのですが―彼の回りを全部クッションで囲んだおかげで、彼はほとんどかすり傷も なく生き残ったのでし た。 それ以来、彼はさらに自分の運命を諦観するようになりまし た。目立たないけれど、彼は信心深いイスラム教徒でした。パレスチナ人民の解放という仕事をアラーが彼に委ねたと考えていました。 では、だれが暗殺を実行したのか? 私にとっては、まったく何の疑いもありえません。 たとえ多くの人に動機があるとはいえ、根深く終わりのない彼への憎しみとその手段の両方を持っていた唯一の人物は―アリエル・シャロン(Ariel Sharon)でした。 ベイルートでアラファトが彼の手をすり抜けて行ったとき、シャロンは激怒しました。まだパレスチナに近いここベイルートが彼の根拠地でした。アラファトを含めたPLOの戦士たちを彼らの武器と共にベイルートから名誉ある撤退をさ せるという調停を、アラブ=アメリカの外交官フィリップ・ハビーブ(Philip Habib)がやり遂げたのでした。PLOの部隊が旗をはためかせて船に向かって行ったとき、私はベイルート港の倉庫の屋上にいました。 私はアラファトを見ませんでした。彼 の部下たちが彼らの真ん中に彼を隠していたのです。 そのときからシャロンは、アラファトを殺すという彼の決意を少しも秘密にはしませんでした。シャロンが何かすることを決心したとき、彼は けっしてけっして諦めることはありませんでした。どんなに小さな問題でさえ、もし妨害されたら、成功するまで何度も何度も何度も奮闘に立ち戻っていった人で す。 私はシャロンを、彼の決心を、よく知っていました。彼が目的に近づいたと感じたとき、二度、私は妻ラケルと何人かの同僚と一緒に人間の盾となるためムカタ(Mukata)に向かいました。後で 私たちは、シャロンが「一部のイスラエル人がそこにいた」ので予定された暗殺が実行できなかったと不満を漏らしたインタビュー記事を 読んで、とても満足したものでした。 これは、はるかに個人的な復讐以上のものでした。彼は、―彼だけではなく―アラファト暗殺を国家目標とみなしていました。 イスラエル人にとって、アラファトは 根深い憎しみの対象であるパレスチナ人民が具現されたものでした。アドルフ・ヒトラーやアドルフ・アイヒマンのあとの、どんな人間よりも 嫌われていました。パレスチナ人民との旧世代の闘争は、この男に象徴されていたのですから。 地中海とヨルダンの間のすべての土地を占有するというシオニストの夢をくじくことが究極の目標となった現代パレスチナ人の国民的運動を復活 させたのは、アラ ファトでした。武装闘争(またの名はテロリズム)を率いたのは彼でした。彼がオスロ合意に署名しイスラエル国家を認め平和解決に向かった ときでさえ、なお も嫌われていました。和平は領土の多くをアラブに返すはずでしたが、何がもっと悪くしたのでしょう? アラファトに対する憎悪は、ずっと前から合理的であることを止めていました。多くのことで は、肉体的拒否反応、徹底的な憎しみの混じり合い、根強い反感、敵意、不信がすべてでした。彼が歴史の舞台に現れて40年近く、イスラエルでは何百万もの言葉で何百万回も彼について 書かれましたが、彼への前向きの言葉をただのひとつも見たことがないと本当に思っています。 これらの年月のすべての期間、雇われたプロパガンダ売文家たちの全勢力は、その人物に対する情け容赦のないひたすら悪魔化をめざすキャンペーンを振りまきま [...]

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